2010年04月01日

表裏

今日からまたキャンパスライフ。桜の蕾は 5分咲きに満たないほどに膨らんでいました。二年前の私の入学式のときは満開でしたのに、今年はもう少し先。お集まりのご両親は 満開の花を見ることができず ちょっと残念に思っているかも。

 早いもので 4年のうち もう半分が終わりました。今日はシラバスとにらめっこしながら、今年度の予定を組みました。必修がなくなったので、単位数が去年より減るはずなのに ほとんど変わらない!! 不思議!!

 というわけで、私は コインを用いるまでもなく 邁進するのみ! 何せ私の場合、コインの表も裏も「リテラシー」だけなのですから^^;


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  帰りには図書館に寄って、前から借りようと思っていた勝海舟の本を数冊+予約。『生業には貴賎はないが、生き方には貴賎があるねえ』、という海舟の言葉に出会ってから、読んでみたくなりました。通学車内用です。
 

 「リテラシー」とは“基礎能力”とか“読み書き能力”など いろいろに訳されていますが、まずは 人として生きるための基盤ともとれます。何をどう考え、いかに生きるか、そんな 普段だったら極々当り前で考えもしないようなことを思い巡らしているこの頃です。まあ、私の基準は 子や孫に認めてもらえる人生ですけど。(孫はまだいません念のため・・・)

 受難節の折、末代まで引きずる人生だけは与えないでくださいと、心からお祈りします。
  
posted by sa-na at 21:50| 東京 ☀| Comment(1) | campus | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

コイン

昨日、ポストにアマゾンからの書籍。頼んだ覚えがなかったのに、間違いかしら?と思いながら開けてみると、何と友達からのプレゼント書籍!!彼女は いつも粋な驚きをプレゼントしてくれる!!

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昨日はまた、別の人から悩み相談。これに関しては 私はいつも それなりに答えてきた、つもり・・。今私に言えることは ただひとつ。「答えは本人にしか出せない。」

しかし、何事も偶然はない。すべて必然。きっとその人への答えが この書籍の中に書かれている気がしました。その言葉は「何が起きていてもその責任は100%自分にある」のだそうです。ですから やっぱり自分でクリアにしていくしかない。

強いて言うことがあるとすれば、自分が一番望んでいることは何かを とことん自問自答してみることかも。

自分で決められなければコインを投げて決めてもらうのも good ! コインの表を望むか 裏を期待するか! 投げられたコインを見る瞬間の その一瞬の自分の声を聞いてみるわけ!?!

とはいえ、一番の問題点は 実は別のところにあると私は思っています。つまり、表も裏も 同時に両方出ることを望んでいる。
さすがに その技は 神さまでもできない!

posted by sa-na at 13:13| 東京 ☁| Comment(0) | 四季彩々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月24日

新「ano」

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                    Thank you so much!
  
 
posted by sa-na at 23:57| 東京 ☔| Comment(0) | 2010年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

表参道cafe「ano」

2010.03.23  表参道cafe「ano」 18:45〜 19:45〜  要予約です。

「真珠の蕾」 No.13  イタリアとフランスのルネッサンス後期、バロックの萌芽を感じさせる曲を織り交ぜました。

チェロの北村さんは バッハの無伴奏チェロ組曲2・4番です。

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posted by sa-na at 13:42| 東京 ☁| Comment(0) | 2010年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

彼岸

の期間は 彼(か)の岸(冥土)と繋がっているといいます。「死」があるから「生」がある、亡くなった者を想うからこそ 命を生かして暮らしていかれるという、そんな当たり前のことを思い返す時期でもあります。


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 先日、ある飲み会の話題で どういうわけか命を落とすときの話となりました。「溺死と焼死だけはいや」と誰かが言えば、「焼死は煙吸ってすぐ気を失っちゃうから飛行機事故の方が落ちるまでの間があって怖いよ」などといろいろ。「私は殺されるのだけはちょっと・・」と言ったら ほかの方々の頭の中には それは思いつかなかったようです。
 よく牛が 肉にされてしまう工場に連れて行かれるときに 暴れて何としてもトラックに乗らない牛がいると聞きます。自分がこれからどうなるかがわかっているからとか。
 人が人をあやめる場合、その理由とは何でしょうか?今の生活を守るため、人よりよい生活をしたいとき、相手が自分の思うとおりにならないとき、攻撃されたときの自己防衛、自分のプライドをひどく傷つけられたときetc..   それらの多くは人間の欲や本能の副産物とも。

 日常の出来事を考えてみると 自分のやりたいことや本心を隠し 外に出さないことを 「自分を殺す」と表現します。刹那の正論を押し通して、相手の生き方を殺してしまい、『自分は正しい』と 信じて疑わない場合も 時としてあるのかもしれません。そうなると、口にも出したくないようなこの言葉と 完全に無縁で暮らすことは誰もできないということになります。

  しかし、 そうやって無意識のうちに殺し 殺されながら、人は「生」を駆け抜けていくものなのかもしれません。

posted by sa-na at 17:56| 東京 ☀| Comment(2) | 四季彩々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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